地域文化事業
随分時を遡るが、明治維新の頃、東京遷都ということは京都の人々にとってどう映ったのだろうと時々考えることがある。 一部楽観的に解釈する人も居たとはいえども、この事件により多くの人が京の町の衰退を予感したのではないだろうか。 ”千年都市”として栄えた都が、簡単には崩れ去ることは無いとは言えども、京都の知識人達にとっては大変危惧させられたと思われる。 そこで明治維新後になって、衰退化する一方の町で、未だ力のある民間人達によって様々な取り組みが行われた。 中でも熱心だったのが『人材育成』で、京都市と一丸となって町民の力によって小学校が建設させたことは大きい。 これら64の小学校には集会所や区長役場、消防署などの機能も担っていたという。 そして、その目的は偏に時代を超えて価値のあるものを見極められる人を育てること。 必要なものを残し、新しいものを積極的に取り入れられる次代のリーダーを 京都から輩出させることが、今後も”京都”として生き残って行く術だと考えたのだろう。 そして、事実その先人達の苦労があって、百年経った今でも京都は魅力ある町で在り続けている。 一般に社会や企業にとっては、人材こそ命だと言われている。 とりわけ古くよりそれを実践してきた京都だからこそ、 「残すべきもの」と「新しいもの」が共存できるのであろう。
地域事業と可能性先に述べた京の町も、ゆっくりとではあるが実際今や時代の流れからは失われつつある傾向だ。 テンポの速い現代社会では、社会人達は常に仕事に振り回されていて、 地域や近隣の事にまで目がまわらないのが現状である。 更にメディアの発達や、運搬・交通機関の普及は、一昔前には考えられないスピードと変容を私達に見せつけている。 遠く離れた北海道や、九州からでも数日で商品が届くなどはインターネットが普及するまでは考えられなかった。 しかし、一方、溢れる情報は何が真実かさえも見えなくさせ、誤った価値観を人に植えつける。 人の集まる場所は必要だけれども、昔の町で十分な機能が発揮できない以上、 これからは個々で「何がいい」「何が悪い」かを見定めてゆく場所が必要となる。 その意味で今後新しい地域性が益々重要視されてくるのは間違いない。 人々の個性化が進んだ現代では、大きな集団を組織するのは難しい。 そこで地域性を保つには、極小単位の会社も含めた地域コミュニティーの存在が不可欠となる。 つまり、小さなコミュニティーが集まって、また更に大きなコミュニティーへと変化し、 次第に大きな地域活動へと繋がって行くスタイルが、これからの地域活動のあり方である。 そして新しい動きのある所には、必ず新しいビジネスがあるはずだ。 これは個人経営が成り立つ以上、モデルとしては可能性がある。
「カルチャー・イン・イノウエ」と地域文化事業ビジネススタイルとして「カルチャー・イン・イノウエ」は主にサービス業と文化事業で成り立っている。 しかし、どちらかと言えば地域に密着した活動ではあったが主体性や広告性がなかった。 元々、株式会社イノウエではあえて専門化せずに様々な事業に取り組んできたが、 その分、利用者の側からとって不明瞭な部分が多く、何ができるのかがはっきりしなかった。 そこで自らの主体性を明確にして、これらを広く知ってもらうことが必要と考えた。 それが、地域コミュニティーに向けた事業という指針である。 言わばパソコンもこれからの文化である。文化は”人”が築いてゆくものだとしたら、 これらは必ず人と人との間にあるものでなければならない。 そして、”人”それぞれ個性があるように、万人に向けのビジネスなどは存在しない。 ならばこちら側で一歩踏み出して、お客様それぞれの個性に合わせた形で展開するのが一つの手だと考える。 ”地域発信型ビジネス”として主体性を持って展開して行くのが、「カルチャー・イン・イノウエ」としての取り組みである。
”潟Cノウエ”はおかげさまで創業111年